全日本光沢化工紙全国大会

密接な連合体制構築へ

全日本光沢化工紙協同組合連合会(鶴田和也会長)は9月8日、第43 回全日本光沢化工紙全国大会を大分県別府市のホテル白菊で開催した。初の九州開催となった今大会には組合員、来賓、関連業界から約50 名が参加。交流を深めるとともに、業界の飛躍に向けて結束を強めた。
式典は、大会主管の関西光沢化工紙協同組合理事長の植田稔久大会実行委員会委員長の開会あいさつで始まり、「昨年4月の熊本地震の際、熊本県印刷工業組合に義援金を送った。当組合所属企業の中には九州に営業拠点を置いている会社もある。その流れで初の九州開催となった。交流と情報交換を深めてほしい」と述べた。
来賓紹介の後、全日本光沢の鶴田会長があいさつに立ち、今年7月から東京光沢化工紙協同組合が「関東特殊加工協同組合」に名称変更したことを報告。「これは光沢加工の枠を取り払い、印刷物の後加工全般を担う組合への第一歩となる。これにより連合会の組織は、関東、関西、中部とネットワークを拡げ、今後、後加工に携わる企業に広く参加を呼びかけ、より密接な連合体制を全国レベルで構築し、印刷業界に貢献するさらなるサービスの向上を目指していこう」と呼びかけた。
来賓祝辞では、日印産連の神戸好夫専務理事が「光沢加工は、印刷の最終工程を担う。印刷の本質はモノづくりにある。リアルのメディアは強く、より良いものは残っていく。光沢業界のパワーに期待する」とエールを送った。
続いて、新秀樹副委員長が大会宣言「地域の光沢化工を知り、交流を深める事により、都心での考え方、地方での考え方を肌で感じ、お互いの知恵を交わし合い、紙化工の会社として復興と繁栄を共に考えていきます」、および大会スローガン「共感、共存、共栄 〜共に育もう 相互理解生き延びる知恵」を読み上げ、採択された。
前回大会主管の関東特殊加工協同組合・小原隆副理事長が謝辞を述べ、次回大会主管の中部光沢化工紙協同組合・杉浦克彦理事長があいさつし、荻野隆副委員長の閉会の辞で式典を終了した。
講演会は、熊本県印刷工業組合の藤井直樹理事長が「熊本地震をふり返る」をテーマに行った。藤井氏は熊本地震による被害状況や当時の対応、復興状況などを説明。常日頃からの備えの必要性を説いた。
懇親会では、植田大会委員長が開会の辞を述べた後、鶴田会長があいさつ。関連業界を代表してビー・エヌの馬場正之社長があいさつを述べ、中原秀記委員の乾杯で開宴。中締めは髙見正行委員が行った。

大会講演会〜熊本地震をふり返る―人のネットワーク大事〜

熊本地震は 2016年4月に熊本県と大分県で相次いで発生した。4月14 日夜と16 日未明に震度7を記録した。
14 日の地震発生時には自宅にいた。翌日会社に出社すると印刷機などが被災し、動かせる状態でなかった。半製品の山が崩れ、使用不能になった。電気、水、ガスのライフラインはストップした。
まず考えたことは、社員の安否確認。次に水が出ないためトイレが使えないことから女子の勤務はできないと判断し、帰宅させた。とりあえず男子だけで工場内を片付けた。
たまたま発生時間が夜だったため、人的被害はなかった。日中で、ロール紙の横に居たとしたら…想像したくない。
16 日未明の地震の際は、自宅で寝ていたが、一瞬、体が浮いたような気がして目が覚めた。工場では菊全8色機が大きく横にずれ、フィーダー部分は地面に固定されていたのでぼきっと折れた。
印刷機が使えない中で、受注している仕事納期どおりどう処理するか。
当社では厚紙印刷と商業印刷を扱っているが、商業印刷は委託先が多いものの、厚紙印刷は少ない。そこで知り合いの企業に相談し、印刷を受けてもらう手配を整えた。商業印刷も県外企業に生産を委託した。
今回の地震で痛感したのは、このような緊急事態で印刷設備に被害が及んだ場合について事前に考えておくことの大切さである。同業者との連携は不可欠だ。日頃から組合活動など人との付き合いを通じて、ネットワークをつくっておく必要がある。それは財産になる。
熊本県印工組では、 グループ補助金を会員20 社でまとまって申請したが、建築業者の人手が足りないため作業が進まず、1年以上経つが、実際に補助金を受けた企業は7社にとどまっている。引き続き、熊本の復旧・復興のため、取り組んでいく。